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高橋 至時(たかはし ただとき)
今回の測量の歴史コラムは『高橋至時(1764-1804)』をご紹介します。皆さん高橋至時という人物をご存じでしょうか?実は以前のコラムでご紹介した伊能忠敬の先生なのです。そんな高橋至時の足跡を追っていきましょう!

伊能忠敬に測量を教えた、高橋至時(よしとき)は大阪の生まれで、 作左衛門とも呼ばれていました。天文学で知られていた麻田剛立(あさだごうりゅう(1734ー 1799))の塾で学び、 師の推挙で江戸の暦局に出て、天文方となり、 暦を作る仕事をしました。至時は、暦ができた後も江戸に残って、 天文学についての研究を続け、天文学の第一人者として名をはせました。

伊能忠敬の弟子入りについて、至時は最初忠敬のことを隠居暮らしの道楽程度に考えていましたが、忠敬があまりにも熱心なので感心し、支援をしていきました。伊能忠敬の全国測量にて問題が起きた時には、忠敬の測量が無事に終わるように、幕府となんども話し合いをしたり、観測機器の作製などあらゆる面で協力を惜しまなかったようです。

伊能忠敬の偉業は非常に有名ですが、その裏に至時がいなければ「大日本沿海輿地全図」は完成しなかったかもしれません。

至時の一番の功績は、フランスのすぐれた研究書『ラランデ歴書管見 11冊』を翻訳したことです。オランダ語に訳された、フランス人のラランデの著書を、更に日本語に訳したものです。わずかなオランダ語の単語しか知らない至時が、暦学の専門書を完璧に翻訳できたのは、至時の非凡な才能と数式や絵図から本文の意味を推理できたと言われています。この難事業をわずか6ヶ月でやり遂げた至時ですが、研究書の翻訳の仕事が原因で、1804年1月5日に41歳の若さで亡くなりました。

忠敬が遺言として、20歳も若い師匠である高橋至時の隣に墓を建てて欲しいと望んだ事からも、素晴らしい人物であった事が伺い知れます。


【補足】
東京上野にある源空寺(東京都台東区東上野6丁目18番12号)に高橋至時・伊能忠敬・高橋景保(至時の子)の墓地が並んでいます。
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