アイサンテクノロジー株式会社
企業情報

IR・投資家情報TOPへ戻る
測量の歴史と当社の歩みTOPへ戻る

IR情報
                       
江戸時代の地図

この時代、地図編纂は幕府によって推進されていました。

当時は 電車やバスや車もありません。人工衛星も測量する機材も何も存在しない時代です。国土全体を調査し、地図を作る事業というものが、いかに時間とお金のかかる大きな事業であったのか?ということは想像に難くありません。地図を編纂することは、当時の権力を示すもであったのかもしれません。

江戸幕府は 主に、慶長(1596年〜)・正保(1644年〜)・元禄(1688年〜)・天保(1830年〜)の4回国絵図の作成を諸大名に命じ、更にそれを編集して日本全図を作成しています。

その中の元禄期に作成した地図は、地形の正確さに欠けたため、享保四年(1719年)に徳川吉宗の天文・暦学の顧問、建部賢弘(たけべ かたひろ)に再作成を命じました。建部賢弘は 和算の大家 関孝和の門人で、今日の平板に類似する見盤及び磁石を用いて、元禄国絵図を修正しながら編集接合して享保日本図を作成しました。

水戸の藩士 長久保赤水(ながくぼ せきすい)は安永七年(1778)に『日本興地路程全図』を作成しました。この地図は「赤水図」と呼ばれ、現在の地図と外形がほぼ変わらない全国図になっていると言われています。

ここで「おやっ?」と思われる方もいるのではないでしょうか?測量で有名な伊能忠敬の名前が出てきません。

実は伊能忠敬の伊能図は幕府の秘図として公開されなかったので、幕末に至るまで『日本興地路程全図』が日本全図の代表とされていたのです。
「秘図」とまでされた伊能図はどのように作成されたのでしょうか?次回は伊能忠敬の生涯と共に追ってみましょう!


1/2/3/4/5

▲ページトップへ
HOME | 製品情報 | 企業情報 | リクルート情報 | プレスリリース | サポート/サービス | イベント情報 | 特集 | リンク集 | サイトマップ | お問い合わせ
フッター